[書評]イシューからはじめよ を読んだ

イシューからはじめよ ― 知的生産の「シンプルな本質」 

著者:安宅和人

出版社:英治出版

ASIN ‏ : 4862760856

発売日 ‏ : 2010/11/24

そもそもissue(イシュー)が難しいというより分からない

「イシュー(issue)」という言葉が本書の中で頻出するが、かなりわかりずらい。そのためイシューが言葉としての意味合い、概念で使わているのか、それとも単に比喩として使っているか、だんだん読み進めると分からなくなる。

本書でイシューについて言及している個所を見たうえで、「イシューとは何か」という、本書の疑問点について考えていきたい。

「イシュー(issue)」そのものについて言及した箇所

(イシューについて) 実際のところ「何に答えを出すべきなのか」についてブレることなく取り組むこと  p3 

 

issueの定義

A)2つ以上の集団の間で決着のついていない問題

B)根本に関わる、もしくは白黒はっきりしていない問題 p25

 

いきなり「イシュー(の見極め)からはじめる」ことが極意だ。つまり、「何に答えを出す必要があるのか」という議論からはじめ、「そのためには何を明らかにする必要がある」という流れで分析を設計していく。 p45

 

答えを出すべきイシューを仮説を含めて明確にすることで、無駄な作業が大きく減る。 p50

 

イシューと仮説は紙や電子ファイルに言葉として表現することを徹底する。(中略)結局のところ、イシューの見極めて仮説の立て方が甘いからだ。 p51

 

よいイシューの条件として以下のことが言及されている。 p55

1.本質的な選択肢である

  今後の方向性について影響ある。

2.深い仮説がある。

  「新しい構造」、「常識を覆す」説明である

3.答えが出せる

 

おおむねこのようなアプローチを活用することで本質的なイシューを見つけ、深い仮説を立てられることが多い。 p99

 

イシューについての考察
  •  イシューについて言及した箇所(ページ)が飛び飛びになっている。そのため、イシューがなんであるかわかりにくくなっている原因の一つになっている。

 

  • さて、イシューがなぜ分かりにくいかを考察していこうと思う。

いきなり「イシュー(の見極め)からはじめる」ことが極意だ。つまり、「何に答えを出す必要があるのか」という議論からはじめ、「そのためには何を明らかにする必要がある」という流れで分析を設計していく。 p45

したがって、

イシューとは、「何かに答えを出す必要があるかという議論」であることがわかる。なぜなら、「イシューからはじめる」を言い換えた文章が、『「何に答えを出す必要があるのか」という議論からはじめ(る)』であるからだ。

 

これは、イシュー(issue)のそもそもの語源的意味が*1、「〔議論すべき〕重要な話題[問題]」であることから、先ほどの述べたことも説得力があると思う。

 

つぎに、「何かに答えを出す必要があるかという『議論』」の要素について考える。

ここでの「議論」つまり「issueの定義」は先ほど述べたとおりである。

したがって、

「何かに答えを出す必要があるかという『議論』」の要素は、

「2つ以上の集団の間で決着のついていない問題」と

「根本に関わる、もしくは白黒はっきりしていない問題」

であることがわかる。

 

よいイシューについて見ていきたい。これは先ほど述べたことである。

作者曰く、よいイシューとは、

「1.本質的な選択肢である

 2.深い仮説がある。

 3.答えが出せる」

と定義している。

ここで注目すべきは、2番目の「深い仮説がある」という項目である。これは、すでにイシューの概念の中に仮説が組み込まれていることを意味している。

また、p50で作者が「答えを出すべきイシューを仮説を含めて明確にする」と言及している。

しかしながら、察しの良い読者はすでに気づいた方もいるだろうと思う。p45で、「(中略)という議論からはじめ、「そのためには何を明らかにする必要がある」という流れで分析を設計していく。」と述べている。ここで、「そのためには何を明らかにする必要がある」は仮説の言い換えであると分かる。

また、作者は、

おおむねこのようなアプローチを活用することで本質的なイシューを見つけ、深い仮説を立てられることが多い。 p99

と言及している。

この二つの事例で共通しているのは、イシューと仮説が明確に概念が区別されている点である

従って、先ほど私が述べた通り、あるところではイシューが仮説を組み込んでいるのに対し、あるところではイシューと仮説の概念を区別していたりしており、この矛盾が分かりにくさを生んでいるのではないのかと思う。確かに、言葉自体がほかの意味合いを含むことがあるので、矛盾はしていないという人もいるかもしれない、そうであるならば、あらかじめ配慮のある文章にしてほしかったと思う。個人的には、イシューと仮説は区別するべきであると思う。

 

私が思う、本書の重要な項目

この本で重要な点、及び本書の目的は、煎じ詰めば、「質の高い仮説」をたてることにある。 言い換えれば、「何かに答えを出す必要があるかという『議論』」(イシュー)に対する仮説をたてることである。そしてそのためには、「何か」を知る必要性がある。個人的には、その「何か」を知るためには、「何か」がどこの領域(トポス)であることまで知るべきであり、それが分かれば仮説が立てやすくなるのではと思う。いづれにしろ、本書の目的が「質の高い仮説」をたてることであるので、そこから逆算してそのためにはどうすればよいのかという疑問を持ちながら読むとこの読みやすいのではないかと思う。